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三時間だけ一人占め

冷たい風が体を静かに撫でていく。マフラーや手袋を装着しているにも関わらず、体がぶるっと震え縮こまる。

 数ヵ月ぶりに俺と一織のオフの日が重なり、授業が終わった後二人で出かけよう、と以前から約束していた。でも、学校の校門前を待ち合わせ場所に選んだのは間違いだったかもしれない。仕事以外ではする事がない眼鏡と顔を隠すためのマスク。そんな人物が学校の校門の前にたった一人で立ち、時々校内を覗き込む姿は、まるでこの学校の生徒を狙う不審者のようだ。

 学生だった頃、ほぼ毎日聞いていた授業終了の音が鳴る。懐かしく思っていると何人かの生徒が校舎から出てきた。自分は不審者じゃない、ただ待ち合わせをしているだけ、そう思っていても学校の前を通る人や帰宅する生徒達の視線が痛い。

 

「兄さん! お待たせしました!」

「おー、一織、学校お疲れ様」

 

 ここまで走ってきてくれたんだろうか。何度も繰り返し吐き出される白い息は、自分のものと比べて少し速いように感じる。そんな一織を見ていると無意識に口元が緩んでしまう。

 同じようにマスクと眼鏡をつけたのを確認して足早に駅へと向かった。

 

「行きたい所があるって言ってましたけど、どこへ行くんですか?」

「あー、来月バレンタインがあるだろ? 今から皆にあげる分考えておこうと思ってさ。そのアイディア探しにここ、行きたいなって思って」

 

 スマホをポケットから取り出し『うさみみフレンズカフェ』と大きく書かれたホームページを一織に見せる。

 バレンタインのアイディアを探しにこのカフェに行きたいというのは嘘。本当はうさみみフレンズが大好きな一織と一緒に来たかっただけだ。オープンから結構時間が経ってしまったけど、マネージャーにどこか一日だけでいいから、一月はオフの日を一織と一緒にして欲しいと頼んで調整してもらった。可愛くてファンシーな物が好きなのに、そういった物は苦手でシンプルな物が好きだと言っている分、行きたくても行けない場所なんじゃないかと思う。

 ホームページの画面を見せた時は目を丸くして見ていたのに、今はマスクで顔が隠れているにも関わらず感情がわかってしまうくらい、一織からうさみみフレンズに対する想いが溢れ出ていた。

 

「し、しょうがないですね、こういった可愛い物なんて私全く興味ありませんが兄さんがどうしてもと言うのであれば付き合います」

「サンキュー! 一織!」

 

 目的地までの切符を買い電車に乗り込む。平日の夕方だからか車内は少し込み合っていて座る席は無さそうだ。目的地まで一駅。すぐ降りれるようにドアの近くに立ち、揺れで倒れないように吊革を少し強く持つ。

 こうやって二人だけでどこかに出かけるのはいつぶりだろう。最近嬉しい事にオフの日が少ないし、あったとしても実家の手伝いをしに行ったり、業界関係者や大和さん達と飲んで過ごす事が多い。一織も今日みたいに学校があったり、俺と同じように手伝いをしに実家に行っているみたいだ。もしかすると、アイドリッシュセブンのメンバーになってから二人で遊びに行ったのは、片手で数えられるくらいかもしれない。

 タタンッタタンッと一定のリズムで繰り返されていた揺れが徐々に遅くなり、駅に着くと同時にそこにいた全員が同じ糸で繋がれた操り人形のように、一斉に同じ方向へ傾いた。音をたててドアが開き、降りる乗客の流れに身を任せてホームへ出る。はやりのカフェや雑貨屋が多く並んでいるからか、駅周辺は学校帰りの女子高校生やカップルでいっぱいだ。男二人だけだと少し浮いてしまっている気がする。

 

「ここが現在地なので……うさみみフレンズカフェはあっちですね」

「……だな!」

 

 こういう初めての場所へ行く時に一織が一緒にいてくれるとすごく心強い。同じ地図を見ているはずなのに、俺が思う方向と一織の言う方向が真逆だった事が何度もある。そういう時はだいたい俺が間違っているから一織の言った方へ行くと迷わず着く事ができる。

 一織の指差す方へ歩いていると商店街が見えてきた。八百屋や整骨院、食事処やパチンコ店等が並ぶ中、他とは違って若い女性や子ども連れが集まっている店がある。店内の雰囲気は今いる場所からではわからないけど、俺とたぶん一織もあそこがうさみみフレンズのカフェだとなんとなくわかった。

 近寄ってみると思っていた通りで、店の前にはうさみみフレンズのキャラクター、ロップちゃんの期間限定の人形が置かれていた。遠くの方から見えていたのは、この人形の写真を撮っていた人達らしい。友達と一緒にスマホで人形を撮る女子高校生や、娘と人形を撮る母親らしき人が多く集まっている。店内はまだ空席があるものの、ほとんどのテーブルはうまっているように見える。

 

「いらっしゃいませ、二名様ですか?」

 

 中から店員が出てき、席へと案内される。席に座り一息ついて周りを見渡すと、スマホで料理を撮っている人や子どもを連れた母親達が集まって談笑していたり、店内はすごく賑やかだ。

 テーブルの上に置かれたメニュー表を手に取る。表紙からしてすごくカラフルで可愛い。メニュー全体がうさみみフレンズのキャラクターと花が散りばめられている。メニューをめくっていくと、うさぎの形をした器に入ったオムライスやうさぎの形のケーキ、うさみみフレンズのキャラクターの形をしたクッキーが乗ったパフェやドリンク等、ご飯として食べられる物から甘い物まで色んな種類の料理が目に映る。アイドルになって洋菓子を作る機会が少なくなった今でも、こういった写真を見ると作り方を想像してしまう。この癖はなかなか治らないみたいだ。

 裏表紙には、注文した人が貰える特典のストラップについて書かれている。毎月違ったストラップが貰えるみたいだけど、何種類かはもう配布を終了してしまったらしい。一織はうさぎの形の風船を持ったロップちゃんか、うさぎの形の雪だるまと一緒に並ぶロップちゃんのストラップを選びそうだな。

 

「一織、どれ食う?」

「そうですね……。私はこのケーキと、特典はこの風船を持ったロッ……うさぎのストラップにします。兄さんは何にしますか?」

「そーだなー。外さみーけど俺はこのパフェと、特典は雪だるまのやつにしよっかな」

 

 俺が予想した通り、風船のストラップを選んだ一織に思わず頬が緩んでしまった。それをごまかすように呼び出しボタンを押し、料理を注文する。しばらくして特典のストラップと一緒に料理が運ばれてきた。パフェとケーキはイメージしていた物より大きくて食べた後外に出るのが少し恐ろしい。

 マスクを外しながら前に座る一織を見ると、マスクをすでに外しフォークを片手に持っていて食べる準備は整っていた。ケーキを見る目がキラキラと輝いて普段より明らかに表情が緩んでいる。ポケットからスマホを取り出し、カメラを起動し画面のセンターに一織がくるように合わせ撮る。こっそりしたつもりがシャッター音が一織の耳まで届いてしまい気づかれてしまった。

 

「なっ、なんですかいきなり! 写真撮るなら言ってください!」

「ごめんごめん、つい撮りたくなって」

 

 今みたいに掌を向けて口元を隠して恥ずかしがる癖は、小さい頃からずっと見てきた一織と変わらない。

 

「私の写真撮ったんですから兄さんの写真、撮らせてください!」

「おう! もちろん! 二人でも撮ろーぜ!」

「はい!」

 

 陸やナギからは俺だけ写っている写真を撮られた事はあっても一織からはない。だからだろうか。改まって弟に写真を撮られるとなると、なんだか変に緊張してしまう。

 何枚か写真を撮った後は料理を食べ終わるまでずっと、メンバーの当たり障りのない話ばかりで、一織は特に陸や環の事をいっぱい話してくれた。昨日の朝、陸が一織のお気に入りのマグカップを割ってしまって中に入ったコーヒーが飛び散って掃除が大変だったとか、今日学校で環はまた寝ていて、聞き逃した所を授業中に聞いてくるとか。怒っているような、少し強めの口調だったけど表情はなんとなく柔らかくて、アイドリッシュセブンになるまでこんな一織は見た事がなかったからすごく嬉しい。

 食べ終わるとまた変装用のマスクを装着して伝票を持ってレジへ向かう。レジの横にはメニュー表で見たうさぎの形をした器や、俺がさっき食べたパフェに乗っかってたうさみみフレンズのクッキー、うさみみフレンズのシルエットが描かれたマグカップ等の限定グッズがいくつも並んでいた。その中から一つを手に取り一緒に会計をする。レシートとおつりを受け取ろうとしていると奥の方の席で女の子の泣き声が聞こえた。

 

「やだやだー! 風船のロップちゃんがいいー! 他のやーだー!」

「風船のロップちゃんはもうないの! 雪だるまのロップちゃんで我慢しなさい! 同じロップちゃんでしょ!」

「違うもん! 風船のロップちゃんがいいのー! 風船のロップちゃんじゃなきゃやーだー!」

 

 風船のロップちゃん……一織の選んだアレか?

 受け取ったレシートとおつりを財布にしまっていると、遠くの方から一織の声がかすかに聞こえた。

 

「あの、すみません。私のでよければその雪だるまのストラップとこのストラップ、交換していただけませんか?」

 

 さっきまで隣にいたはずの一織がいない。女の子はいつの間にか泣きやみ何かを握りしめて一織に笑顔で抱きついている。帰ってきた一織の手には俺と同じ、雪だるまと一緒に並ぶロップちゃんのストラップがあった。

 

「すみません、お待たせしました」

「いいって、謝んな。女の子喜んでたじゃん。ストラップ、交換してあげたんだろ? 偉いぞ―、一織!」

「べ、別に。普通の事をしただけですから」

 

 ついナギや環にするみたいに頭を撫でようと手を伸ばしたけど、やっぱり嫌だったのか、一織は俺が触れるよりも先に前へ行ってしまった。ドアが開き一気に冷気が店内へ流れ込む。行き場を無くした手をポケットに突っ込み外へ出ると、店内の暖かさで忘れていた感覚が一瞬にして蘇った。

 

「うー! さっみー!」

「暖かい所にいた分、余計寒く感じますね……」

「だなー……そーだ、一織。せっかくだしこのキャラクターとも一緒に写真撮らないか?二人で行ってきたんだって、父さんと母さんに送ろうぜ!」

「そうですね。写真はあそこの店員のお姉さんにお願いしましょうか」

「だな!」

 

 店の前で人形を撮影していた人達は、来た時に比べるとだいぶ人数が減っていた。撮影を頼む時の為に用意していたデジカメを店員に渡し、人形を二人で挟むようにして並ぶ。撮影が終わり店員からデジカメを受け取り駅へと向かう。晩御飯の買出しだろうか。先ほどと比べて商店街は賑わっていた。

 

「そーだ、皆にワッフルでも買って帰るか」

「そうですね。あそこにありますし、寄っていきましょう」


 

 商店街を抜けて駅までの道中にあったワッフル専門店に立ち寄り、アイドリッシュセブンの皆の分といつもお世話になっている社長や万理さん、この時間を作ってくれたマネージャーの分を購入した。駅に着き電光掲示板を見るとあと五分で電車が来るらしい。

 

「一織、今日付き合ってくれてありがとな。これ、そのお礼」

「うさみみフレンズカフェの袋? 何か買ったんですか?」

「マグカップ。さっき陸に割られたって言ってただろ? 夏ならあんまし困んねーかもしんないけど、今寒いし温かいもん飲む時無いと困るだろ?」

「嬉しい……ありがとうございます、兄さん」

「どーいたしまして」

 

 事務所に寄ってマネージャー達にワッフルを渡し寮へ帰る。最近夕飯は誰かがいない事が多かったけど、今日は珍しく全員揃っていた。ちょうど環が壮五から赤い瓶を取り上げ、中身を土鍋の中へ入れている最中だった。今夜はキムチ鍋らしい。一織は早速マグカップを出して陸に触らないよう忠告している。あまりにしつこく一織が言うもんだから陸もだんだんムッとしてきて、またいつもの微笑ましい喧嘩が始まった。

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